何のために楽器を演奏するかと言えば
人それぞれ。
弾けたらカッコいいとか
部活だからとりあえずとか
楽しいだからとか
文化交流後の飲み会の為にとか
定年後の楽しみとか。
私の場合は、これがなきゃ生活できないので弾いています笑。
でもね、これが心の支えになることだってあるんだと思うんですよ。
実際そんな人もいるし、自分もそんな頃もありました。
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自分が所属している場所ってありますよね?
多くの場合、会社、学校、家族、寮、地域、部活、サークル、
友人グループ、自分自身、・・・ 等。
でも、その場所で上手くいく時ばかりではないと思うのです。
辛い時もあると思うんですね。
人とかかわりあうというのは、楽しい事もある半面
擦り減ってしまう事もあると思うのです。
その多くは「言葉」によって、自分が影響を受ける。
音楽というのは、言葉が直接入り込まない世界。
絵画もそうですよね。
だから、それぞれの「言葉が中心」の場所で上手くいかないとしても
音楽は、直接人に響くところがあると思うのです。
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音楽…器楽であれば
最初は、楽器をさわったり演奏するだけでドキドキすると思います。
自分でないものを使って、自分の一部となるのですし。
楽器の取り扱いや、楽譜の読み、実際の演奏をするまでは一苦労?ですが
アンサンブルなどができるようになると、色々な事を感じられるようになります。
明暗、薄濃、音楽のゆがみ、音階だけでできているはと思えない表現。
言葉だけでは上手く言えない事も、伝えられたりします。
時々、部活・サークルなどにありがちなのは
音程、テンポ、譜わり、表示記号などが正しく演奏できているか等をチェックする
「精神鍛錬」
の場としてだけで行われているということ。
そして「なぜ(きちんと)できない?」と人が人を裁く事。
音楽は人を裁く道具ではありません。
規律ばかりにダメだしするのは、そこしか見えていない事。
もちろん、音程、ふわり、表示記号など、充分に考えなければなりません。
でも、演奏しなくてはいけない事は、他にももっとたくさんあると思います。
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普段の生活では、人に裁かれる、または、
自分で自分を裁いてしまう事が、とても多いと思うのですね。
音楽というのは、その人が自分の為に演奏する限り
裁きがありません。
その人が音楽をもっと知りたいという時には
教える立場の人は、その人がもっとのびやかに健康に演奏できるよう
お手伝いすべきだと思っています。
音楽学校に行った場合は
「演奏を聞かせる立場」になるので
そんな悠長なことばかりは言ってられませんが。
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音楽を教える事もある立場になって10年ほど経ちますが
音楽が支えになって、その時をやり過ごすことができたという人たちが
結構います。
自分の所属している範囲で、決して幸福だったとは言えない時
その場所から退避するしかない状況になっていたとしても
学校に来なくなってしまっていても
部活、レッスンには来てくれました。
その人にとって、その時、音楽が支えになっていたのだと思います。
コントラバスを使って演奏はしていましたが
ヴァイオリンの演奏を聞いて、目がキラキラしていた生徒さんもいて
自分の非力さも感じましたが、それで良いと思っていました。
それから何年も経って
無事に生活しているとか、
まだ音楽をよりどころにして活躍しているなど聞くと、
とても嬉しい。
そうなると、その人が私が教えていたころ
音程が悪かったとか、リズム音痴とか、楽譜が読めなかった等
どうでもいいことなのです。
勿論、普段の生活も上手くいって
音楽も楽しいという事は、とっても素敵な事です!!
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だから、
よりどころになるものがそばにあると良いと思うのです。
勿論、音楽である必要はない。
受け入れてくれる人だっていいわけですし。
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でも、音楽の個人練習する時には
音程とテンポと楽譜は、大事にしてくださいね。
メトロノームがあなたのお友達でいてくれると嬉しいです。
写真は生徒さんから頂いたお葉書。
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